【2022年7月21日】文化審議会が澁谷家住宅主屋を国登録有形文化財に答申

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ページ番号1023396  更新日 令和4年8月1日

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 7月22日、国の文化審議会は、但東町中山の澁谷家住宅主屋を国登録有形文化財に指定するよう文部科学大臣に答申しました。
 この建物は、江戸時代後期1846(弘化3)年に建造と覚え書が残っており、出石藩主の宿泊所「本陣」になったこともあります。また、資母小学校の前身である小学校を開いたり、明治時代には中山郵便局や養蚕を営んだりしていました。
 但馬地域における近世大型農家の基本的な間取りを良く残しており、屋根裏には当地の産業である養蚕業を営んでいたころの構造も保存されています。時代時代の生業に応じて改修を重ねた様子が分かり、但馬地域の歴史的景観に寄与している建物の好例として、その文化財的価値が認められました。

 登録は、官報告示をもって正式決定となり、これにより但東地域では初、豊岡市内では22カ所目の登録となります。

澁谷家母屋
澁谷家住宅主屋は、越屋根(こしやね)と虫籠窓(むしこまど)を設けた、2階の天井部分が低い「つし二階建」の養蚕民家。
澁谷家母屋2階
通りに面したつし二階部分には格子窓「虫籠窓」と空気を抜くための「越屋根」が設けられている。
澁谷家母屋
六間取りで、通りに面した側に三間あり、奥から「表ノ間」「中の間」「ミセノ間」と呼ばれている。
澁谷家住宅
屋根裏(つし二階)の養蚕をしていた場所。広い空間を確保するために工夫して梁が組んである。
澁谷家住宅
七代目当主の澁谷喜正さんは
「先祖が残した建物を大切に守っていきたい。今後は民泊などでも活用していきたい」と話していました。

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