市長臨時記者会見(平成24年12月20日)

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ページ番号1003632  更新日 平成30年5月23日

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日時

平成24年12月20日(木曜日)午後1時15分~

場所

豊岡市役所東別館別館 2階会議室

会見事項

平成24年 豊岡市政10大ニュース(資料1-1、1-2、1-3)

質疑応答〔発言要旨〕

Q1 10大ニュースは日付順に並んでいますが、市長としてはどれが1番ですか。
A1 豊岡の将来を考えたときには、「円山川下流域・周辺水田」がラムサール条約湿地に登録されたことが1番だと思います。ラムサール条約湿地登録は、コウノトリの野生復帰の一つの到達点だと考えられます。この条約の登録は、国際的に重要な湿地を保全するということが狙いです。豊岡の場合は、もともとある優れた自然を守るということではなく、失われてしまった湿地、そのことによって失われてしまったコウノトリや生態系を、みんなで努力してここまで戻してきたということです。この登録は豊岡の外にいて応援してくださる方も含めて、豊岡の方たちのこれまでの努力に対する認定だと考えていますのでとても誇らしく思います。失ってしまったものでも、みんなが頑張れば取り戻すことができたという、一つの稀な例ですので、世界各地の皆さんにも同じように頑張っていただきたいというメッセージになったと思います。

Q2 10大ニュースを踏まえた上で、平成24年を総括していただけませんか。
A2 「小さな世界都市」の実現に向けて、着実に歩みを進めた年だったと総括したいと思います。人口規模は小さいけれども、世界の人々に尊敬され、尊重されるまちを目指す、「小さな世界都市」を目指すということをずっと申しあげてきました。その意味では、この円山川下流域・周辺水田がラムサール条約の登録湿地になったということは、一つの大きな到達点、通過点であったと思っています。
 また、豊岡エコバレー「小さな世界都市」というのは、小さいけれど世界で輝くという意味ですので、環境都市「豊岡エコバレー」として輝く、これが柱になっています。円山川のコウノトリは生物多様性の保全ということですが、地球環境問題の2大テーマである地球温暖化対策に貢献しようという意味では、山宮地場ソーラーが完成したことは非常に大きな事柄であったと思います。
 それ以外にも、今年はコウノトリの放鳥3世が誕生しました。これは絶滅した種の野生復帰という意味でも金字塔であったと思います。放鳥1世は人間が育てたものを離しました。人間の手が掛かった親たちが、ヒナをかえして、そのヒナが自力で大きくなってカップルになり、さらにヒナをかえしたわけですから、3世というのは、人間の手が掛かっていません。まさにコウノトリの野生化が大きく前へ進んだ年でした。これも、「小さな世界都市」という観点から見ると、とても大きなことだったように思います。
 5月に世界ジオパークの会議が島原でありましたが、その時に2015年のアジア太平洋地域のジオパークシンポジウムの開催地が山陰海岸ジオパークに決定しました。開催は2015年ですが、山陰海岸ジオパークの取組みが世界的に評価されたことの証だと考えています。

Q3 来年の抱負を教えていただけませんか。
A3 一つ目は、「小さな世界都市」の実現に向けて突き抜けていく、突き抜けさせたいと思っています。ラムサールの登録などで、かなりいいところまで来ているのですが、さらに突き抜けていって、名実共に、確かに「小さな世界都市」の方向に大きく進んでいると実感できるようなことを来年度はぜひ果たしたいと思っています。
 二つ目は、平成28年度以降の行財政上のおそらく過去最大の危機への備え、その準備をしっかりとするということです。合併特例は平成27年度までで切れます。平成28年度から5年かけて、現在合併特例で上乗せされている交付税が少しずつ減っていき、平成32年度でもって完全になくなります。平成33年度と今とを比べると、合併特例がないだけで交付税が32億円減るという計算になります。32億円というのは豊岡市の一般財源の1割に相当し、人件費では4割に相当します。相当大胆な行政改革をしないと、行財政の危機を乗り越えられません。その時が来てからしたのでは間に合いませんので、来年はそこにきちっとした方向性を見いだして着手することが必要だと考えています。しかし、行革で、あれ削ります、これ削ります、職員数は削ります、もう何もできませんといって、エネルギーが落ちたのではどうにもなりませんから、スリムになりながら生産性は高く保つという、背反することを求める必要があります。職員の数が減り、予算が削られても、職員は高いモチベーションを持ちながら堂々たる成果を成し遂げていくという、そういう強い組織を作る道を作っていく必要があります。

Q4 新年度予算はどういうものが組み込まれますか。
A4 平成25年度の主だった重要施策というのは8月から議論していますが、各課の要求自体をまだ見ていないので詳細は分かりません。
 しかし、今申しあげました「小さな世界都市」に向けて突き抜けていくための予算、世界に対して豊岡をどうアピールしていくか、そういう予算の体制を組むことにしています。豊岡というこういうまちが存在するということを世界の人々に知ってもらうための体制と予算化を図ります。城崎では、海外から来られる方がずいぶん増えており、もてなしの心はいっぱいあるのですが、海外からのお客様をお迎えするしつらえはできていません。英語標記がやっとできたばかりです。外に対してアピールすると同時に、海外から来られたお客様がこれは何なのかと最低限知っていただくことができ、気持ち良く豊岡で滞在していただけるようなしつらえを作っていくことが必要だと思っています。また、城崎ではアートセンター化構想を策定中で、来年度はアートセンターを作り、「小さな世界都市」にふさわしいまちの魅力をさらに高めていきます。
 コウノトリの野生復帰に関する取組みの検証も必要です。福井県の越前市にはコウノトリの郷公園からコウノトリが行って、野生復帰に向けて歩みを進めておられ、どこかの段階で放鳥されます。さらに関東地方でもコウノトリの野生復帰が進んでおり、千葉県野田市に多摩動物園からコウノトリが移されています。また、埼玉県鴻巣市、千葉県いすみ市、栃木県小山市でもコウノトリの野生復帰構想が進みつつあります。韓国では2014年7月にコウノトリが放鳥されます。このような所から見ると豊岡は先進地で、豊岡に学びたいということで、視察がたびたびあります。ところが、豊岡はどういう事柄が効いてここまで比較的順調にきたのかというポイントが十分整理されていません。これまでの歩みを一度きちんと検証して、そして後に続く人たちに対してお手本を示す、アドバイスをする、そのための検証作業をしたいと思っています。
 また、先ほど話しました平成28年度以降の過去最大の行財政の危機に対してどうするかといった道筋が全く見えてないので、自分たちだけで足りないところは、外部の知恵も借りて、スリム化と高い生産性を保つという道筋を探るための予算を計上します。

〈会見事項以外〉NHK大河ドラマ「八重の桜」を活用したPRについて

Q1 NHK大河ドラマ「八重の桜」の関係で、会津若松市長を訪問されましたがいかがでしたか。
A1 会津若松市はとても盛り上がっていました。「八重の桜」の登場人物である本市出身の川崎尚之助は、夏ごろで登場しなくなってしまうので、それを活用したPRは夏までが勝負です。会津若松の熱気にあおられて、豊岡ももっとこの機会を生かす努力をしなければいけないと考えています。今、いろいろな可能性を探っているところですので、また具体化すれば情報提供したいと思います。
 会津若松市では、川崎尚之助自体の見直しがずいぶん進んでいる印象を受けました。川崎尚之助は、長い間、会津では卑怯者でした。会津戦争・戊辰戦争の時に行方がしれなくなってしまって、しれないというのは会津若松に残った人から見て分からなかっただけなのですが、90年代にできた「白虎隊」というドラマの中で、行方をくらました卑怯者だというふうに扱われてしまいました。川崎尚之助の記録がほとんど残っていないものですから、自由に想像を膨らませて、そうなってしまい、その印象が非常に強くて、会津若松の方々は、川崎尚之助は卑怯者だというふうに思っておられるということでした。
 ところが昨年来の研究で、そうではないことが分かりました。会津藩主は降伏した後、謹慎・監視下に置かれ、他の会津藩士と一緒に東京に移されました。その後、会津藩はお家再興がなり、斗南藩として青森の最北端の所に移ります。北海道立の文書館所有の文書の中に、川崎尚之助が斗南藩にいたという記録が出ています。川崎尚之助は会津藩士に取り立てられ、他の会津藩士と一緒に東京で監視下に置かれ、その後、他の藩士と一緒に斗南藩に行った。さらに食べ物に困るような斗南藩の窮乏を見かねて、米の先物相場に手を出して、詐欺にあい、訴えられ、その裁判の途中に死んでしまいました。川崎尚之助は結果を出せなかったのですが、会津藩士として生きて、会津藩士のためにとことん頑張ったという、それが昨年来の調査で分かってきましたので、そのことがじわじわと知られ始めているという気がしました。「会津人群像」という機関の雑誌があるのですが、その中にも川崎尚之助の真実という論文が書かれていて、「八重の桜」をきっかけに改めてあの時代のことの検証がなされ、正しい川崎尚之助像というのが広がりつつあると実感しました。
 この会見の後、尚之助の碑を立てようという記者発表があるようですが、歴史が発掘されて、その歴史と自分たちがつながっているという意識を持つことができるということは、とても良いことだと思います。川崎尚之助は大発見した人物でもないし、単に向こうに行って鉄砲を教え、一緒に篭城して、とことん頑張って武士としての意地を通したという、ただそれだけの人物なのですが、豊岡出身の人物がそういう所まで行って、いかにも出石の人らしく筋をしっかり通した、そして死んでいった。それが今回NHKで、またよみがえってきて、会津と豊岡がつながっていく。そういう歴史と自分たちがつながっていくという意識を持つことは、自分の町への誇りにつながっていくような気がします。豊岡の子どもたちがこの尚之助の物語を通じて、会津に思いを馳せたり、あの時代の歴史に思いを馳せ、今自分たちがいるという意識を持ってくれると大変うれしく思います。

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