市長定例記者会見(平成27年1月6日)

このページの情報をツイッターでツイートできます
このページの情報をフェイスブックでシェアできます
このページの情報をラインでシェアできます

ページ番号1003595  更新日 平成30年5月23日

印刷大きな文字で印刷

日時

平成27年1月6日(火曜日) 午後1時15分~2時5分

場所

豊岡市役所 3階 庁議室

会見事項

  1. 友好親善都市・韓国慶州(きょんじゅ)市訪問団受け入れ
    子どもたちの国際感覚を磨く(資料1)
  2. 1月のアーティスト・イン・レジデンス プログラム
    城崎・豊岡での創作アートが世界に広がる(資料2)
  3. 「豊岡エコバレー・山宮地場ソーラー」竣工後2年目の発電状況(資料3)

質疑応答〔発言要旨〕

(1) 友好親善都市・韓国慶州(きょんじゅ)市訪問団受け入れ 子どもたちの国際感覚を磨く

Q1 慶州市訪問団の受け入れで、豊岡らしい特徴がありますか。
A1 ホームスティがありますので、それぞれの受け入れ家庭が、まさにこれが豊岡だという所を案内され、紹介されるだろうと思います。

Q2 港東小学校児童との交流の給食に、カニ料理が出るようなことはなく、いつもどおりの豊岡の生活を味わってもらうのですか。
A2 はい、そうです。

Q3 ホームスティは1月14日の1泊で、前日の13日はホテルに泊まるのですか。
A3 はい、そうです。13日は市内のホテルで歓迎レセプションをして、ビジネスホテルに泊まります。

Q4 今回、港東小学校で交流するのは、何かいきさつがあるのですか。
A4 毎年違う小学校で交流しています。今年は城崎・竹野地域の小学校で交流するということで、港東小学校になりました。
 慶州市とは、旧出石町からのつながりですが、アメノヒボコ伝説というのが元になっています。新羅の王子のアメノヒボコが日本にやってきて、最後、出石に居を構えました。当時、豊岡盆地は泥の海だったのですが、海との境にあった岩山を切り開いて、その泥の海の水を海に吐き出して、細くなって今の円山川になり、陸地ができたという伝説があります。その岩山を掘った所がこの港地区ですから、そういう意味でつながりがあります。

Q5 アメノヒボコ伝説から、新羅(しらぎ)の首都だった慶州と交流しているということですか。
A5 はい、そうです。

(3) 「豊岡エコバレー・山宮地場ソーラー」竣工後2年目の発電状況

Q1 山宮地場ソーラーの売電収入の使い道はどのようになっていますか。
A1 基本は豊岡市の環境政策の財源にすることになっています。
 ライフスタイルデザインの共同研究や環境政策推進事業(エコポイント事業、オフィスバイオマスの導入補助事業など)等の財源にしています。

〈会見事項以外〉城崎町湯島の大火について

Q1 城崎町湯島の火災についての思いを話していただけますか。
A1 まず、痛恨の極みというのがあります。
 お二人の死者が出て、たくさんの方が焼け出されていますので、消防本部も消防団も地元の自警の人たちも本当に懸命にやりましたけれども、非常に手ごわい火であったと思います。あの街区の構造の問題であるとか、木造自体というよりも、具体的なありようがネックとなって、非常に手ごわい火で、多くの被害が出てしまいましたので、そのことに対する痛恨の思いがまずあります。もちろんお悔やみやお見舞いを申しあげる気持ちもあります。
 こういう結果が出てしまいましたので、これを受けて今後どのように生かしていくのかということがまず一つです。あのエリアの再生と、城崎温泉全体のあり方について、より生かす方法が必ずあるはずですから、それをしっかりやっていきたいと思います。
 これまでも申しあげてきましたが、木造3階建ては城崎の大変大切な特色であり、日本の伝統的文化でもありますから、日本にとっても大切な遺産・財産ですので、これは断固として守ります。
 同時に市民や観光客の皆さんの安全安心というのもとても大切ですから、それも必ず守ります。そのために、より防災対策を強化すべき点があるのであれば、それは徹底してやっていく、これが基本になると思います。
 もう一つ申しあげたいのは、一部に木造か鉄筋かというのが議論になっていますが、実は正確ではありません。現在の基準で、木造を建てると、耐火についても相当厳しい基準があったり、工夫はいろいろとあります。ですから木造が悪いということではなくて、あの街区にあった具体的な木造のあり方に課題があったというように問題を冷静に見る必要があると考えています。
 例えば、トタンの屋根が瓦ですと、下から火が上がっていくと屋根が抜け落ちますから、上から水をかければ中に水が入ります。しかし、トタンは落ちませんので、トタンが水をかぶるだけになり、消火活動は非常に困難でした。火は、トタンだと上に抜けませんので、天井を通して隣に走っていったようなことがありました。
 そして、火元は非常に細長い家の奥の方の1階だったというふうに言われており、水がなかなか届きにくい所でした。正面側には大谿川がありますので、水利としては全く問題がなかったわけですが、肝心の火元、あるいは全体が燃えた中の中心部まで水が届きにくいということがありました。それはその間に道路がないという、あの街区の構造自体の問題であり、もし真ん中に一本道路が通っていれば両側から水をかけることができますので、あそこまでの類焼は防げたはずです。
 飛騨高山の例として聞きましたが、一人暮らしの方が倒れて火事が起きると、火災警報器が隣近所に響くようなシステムを導入しているのだそうです。
 同じ木造だったとしても、あるいは鉄筋であったとしても、町全体として安全対策を高める方法はあるはずです。それを、他の事例も参考にしながら、木造をしっかりと守りながら、安全度をさらに高める努力を地域の人たちとしていきたいと思っています。
 なおかつ、あの街区だけではなくて、城崎温泉街全体に採用できるものがあれば、それをしっかりと進めていきたいと思います。

Q2 木造3階建て建築保存のための独自の基準を今年度中に作り、来年度で運用を目指したいということでしたが、今後どのようなスケジュールで整備していきたいと考えておられますか。
A2 基準について言うと、もともとのスケジュールを変えることは考えていません。これから木造の3階建てを守るためにどういう基準を作るかという委員会を開くと、当然現場を見ていただくことになると思います。もともと木造3階建てのあの町並みを守るために、耐震あるいは耐火性能、ソフトも含めて、さらにどういうふうに強化すればいいのかという議論をしていたので、今回のようなことにどう対応するかということを既に議論してきたと思っています。
 しかし、改めてこのような結果が出ましたので、問題意識をより先鋭にして、基準作りに取り組んでいく必要があると考えています。そのために更なる検討が必要だということになれば、もともとのスケジュール自体は絶対なものではありませんので、さらに時間をかけることもあり得るだろうと思います。
 また、あの町の再建自体は、今の段階では分かりません。何よりもまず被災された方々自身がどうしたいのかという、その気持ちをまとめていかれることが必要ですが、まだたぶん半分茫然自失で、目の前のごみをどう片付けるかということに追われておられ、再建策をどうするかもう少し時間がいるのではないかと思います。権利関係や土地の出入りが非常に複雑であったり、一軒一軒の思いが違うと思います。間借りをしていた方、商売していた方、住むだけの方、あと住む人がいない方、さまざまな状況がありますので、その辺の利害調整が相当大変だと思います。
 しかし、城崎はもともと共存共栄。みんなで支え合ってみんなで儲けていくというか、生計を立てていく、あるいは困ったときに助け合うということをやってきた所ですから、一軒一軒がバラバラにということではなくて、あの町をさらに良い町にするためにどうするかという観点から議論をしていただいて、結論を出していただきたいと思います。もちろん技術的なことや法的なこと、アイデアなど、なかなか個人で分からないことがおありでしょうから、そのようなことについて市としては全面的なサポートをいたします。
 幸いにして、城崎の町の中でそういった面についてサポートをしようという動きがあります。今、商工会になるのか、まちづくり会社になるのかその辺の調整はこれからだと思いますが、自分の町のこととして被災した人たちをサポートして、いい復興をしたいという動きが出てきています。、市としては、その体制ができれば、その人たちと一緒になって力を合わせて、あるいはその方々をサポートする形を通じて復興支援していくとことになろうかと思います。

Q3 消防車も入りにくいほど街路が狭いという話もありましたが、その区画整理を見込んだことを考えておられるのですか。また、京都などはうなぎの寝床的な構造だと思いますが、そういうところも参考にしていく気持ちがありますか。
A3 まず一点目の区画整理は、理論上の選択肢の一つだろうと思いますが、これは相当時間がかかります。最終的にはご本人たちが何を選ばれるかです。区画整理という法的な手法を使ってやるのも選択肢の一つですし、自分たちが話し合いをしてやっていくのも一つだろうと思います。どういう方法があるかについての知恵は、行政も提供していきたいと思っています。真ん中に道路がありませんので、北側、川から見ると奥側は、修繕なら別ですが、法的に家の再建ができないという制約がかかる所が出てくるかもしれません。まずは被災された方々が、個々バラバラではなく、みんなでいい町をもう一度作ろうというような合意形成をしていただくことがいるのではないかと思っています。
 それから二点目です。京都もおっしゃるとおりです。これは防災の専門家の室﨑益輝(むろさき よしてる)先生から聞いた話なのですが、「京都は一軒一軒で火が移らない工夫をずっとやってきた。それに対して、東京江戸は、道路を大きくして、この街区はやられるかもしれないが、こちらには火が届かないようにするとか、防火壁のようなもので街区から街区へ移らないようにするという設計思想でやってきた。その結果として、数字はうろ覚えですが、千年間で京都の大火は10回で、そのうち9回が戦争だ。つまり失火で焼けたというのはほとんどないというぐらいに京都は神経を遣ってきた」ということでした。京都のその辺の技術というのは、ぜひ学ぶ必要があると思っています。
 先ほど言われた、建て直しでの話で、大阪の法善寺横丁が平成14年に火災にあって、非常に狭い道路しかなかったのですが、再建をしていると聞いてます。どういう工夫をしたのか、そのような先進地事例もしっかり勉強した上で、アドバイス、提案につなげていきたいと思います。
 また、隣に火が乗り移らないようにするために、各家がうだつを作って守ってきたというようなことがあります。そういうふうに、古くからある木造の町でもいろいろな工夫がありますので、城崎は城崎で相当いろいろな工夫をしてきていますが、参考にできるものがあれば、この機会に積極的に取り入れていくように市としても努力したいと思います。

Q4 個人・まちの人たちの合意形成が必要で、それが最初だということは当然ですが、前例がないので知識を持っておられない。住民の方が合意形成をして選択、判断する上で、コンサルタントや外部の人の知恵が必要になってきますが、行政がコンサルタント料を払って派遣することは難しいですか。
A4 そこは微妙なところです。先走ってやるつもりはありません。つまり、行政がコンサルタントを連れてきて、こうしましょうと言ってもうまくいかないと思います。むしろみんなでやろう、しかし方法が分からないというところまで持っていくことがとても大切です。さっき申しあげましたように、自分でできるところは自分でやるのが一番です。その次に、地域の助け合いの中でできるならそれがその次にベスト。どうしてもできないところを行政がフォローするのが一番基本のあり方だと思っています。商工会になるのか城崎のまちづくり会社になるのか分かりませんが、今そういったことを支援しようという動きがあります。行政は、その被災された人たちを支援しようとする所に対していろいろな支援をしていきます。仮に地元の応援の組織と応援の方がどんな再建の仕方があるのか、どんなすてきな町が再建できるのか、デザインやアイデアも含めて、やろうとなったときに、それを応援する所に市から支援をするのは可能だと思います。
 市はできるだけのことはします。やり方は、ご本人たちが立ち上がるという気持ちをまず第一に尊重しながら、それを支援していきます。

Q5 住民側は費用面の心配が必ず出てきます。それが担保されていることが住民たちの知識の中にあれば、より前に進みやすいと思います。その辺をいろいろな中間支援団体に、市から公的な支援をすることが可能であることをどこかのタイミングで伝えてあげないと、進むものも進まないのではないですか。
A5 それはそうだと思います。しかし、それは今ではないと思います。というのは、まずは目の前の瓦礫をどうするかとか、そういったことですので、なかなか他のところまで腰を入れて考える余裕や時間がないだろうと思います。最後立ち上がるのはご自分でしかないわけで、ご本人たちが立ち上がろうという気持ちになられないと、どんなに周りから手を差し伸べたとしてもうまくいきません。その様子を見ながら適切なタイミングで支援を打ち出していくということがとても大切だと思います。今の段階で、再建についてあんなこともしますこんなこともしますということは、うまく進めるという観点からは、このタイミングではないという気がします。

Q6 タイミングがいつがいいのかということも含めて、なかなか判断しづらいと思いますが、そこも含めていろいろな専門家に相談されていますか。
A6 実際にどこに課題があったのかなどを専門家とやりとりしていますが、再建策をどうするかということはまだ言っていません。そのタイミングは必ず来ると思います。繰り返しますが、要は一人ひとりの立ち上がりならそれはそれでお一人でされればいいことです。城崎の場合は伝統的に、つまりお互いで支えあいながら全体でここで生きていくのだと非常に明確に出してきた所であって、支えあい助け合いについても非常に手広くやっている所ですから、その町の中の持っている力を基本的には主にする。それが町としては一番うまくいく方法だと思います。現に旅館のある大将は、意気に感じて社員寮を提供されています。当面の生活費や商売ができなくなった方は当面の費用が要りますから、そういうことに対して危機を持って寄付金を募ろうという動きがあったり、さまざまな動きが城崎の中で実質的に起きてきていますから、そういうものを尊重するのが基本だろうと思います。

Q7 まちづくりの再生ということで、合意形成のための組織というか、一元化するものが必要になってくるのではないかと思いますが、どういう形が望ましいですか。
A7 商工会になるのか、城崎支所になるのか、あるいはまちづくり会社になるのか、やろうという動きは現にあるわけですから、その一元化をまず見る必要があると思います。結局、行政対市民でダイレクトにやってしまうよりも、町の仲間がいて、いろいろあるだろうけどここはお互いうまくやろうよという方がうまくいくだろうと思います。そういう動きがないのであれば、行政が出でいくこともやむを得ないと思いますが、現に城崎にはそういう力があり、動きもありますので、市としてはその辺を見ながら、できる限りのサポートをしていくことになると思います。

Q8 今日城崎に行ったら、あるお宅を商工会が借り上げて、そこに自転車屋さんの焼け残ったものを運んだりしていましたが、その動きのことをおっしゃっているのですか。
A8 それは一連のものです。被災者が支所までわざわざ相談に行ったり、消防に行ったりすることは、近いようでも現場を離れたくないという思いがあるだろうということで、これも城崎の地元の人たちのアイデアで、そこを借りて、地元の人がそこに常駐する。市の職員の常駐まではできませんが、定期的にそこに顔を出し、連携をとっていきます。こういったことがさっとできる町です。すばらしいことだと思います。今日も盛んにごみを出しておられ、出していただいたごみは、市が収集しますが、被災者だけではできませんので、ボランティアで若い人たちが入ってきて一生懸命ごみ出しをしているという、そういった動きが出てきてます。
 それが少し落ち着いたときに、次に再建をどうするのということになります。保険に入っている人、入っていない人がいるかもしれませんし、保険のカバー率も違うかもしれません。そういったことが整理されてから、さてどうしますかという手順を踏むことになりますから、その進み具合をよく見て、時として支援の人たちを促して前に進むようにします。行政の職員は、やり取りの中で頭にきても怒ることはできませんが、同じ仲間であれば「それは言いすぎではないか」「気持ちは分かるけど、そこはなんとかしてくれ」とか、「普段からの付き合いだし、ここはのんでくれ」というようなことが言いやすいだろうと思います。
 城崎の町の中でできる支援組織と被災者とが話をしていかれることを基本に、それを市としては注意深く見守りながら適切にやるべきことをやろうと思っています。良い町ができることは豊岡にとっても良いことですし、地方創生も言われてますから、この機会により良い町をつくるチャンスだというふうに、どこかの段階で気持ちを切り替えてやらなくてはいけないし、やれるだろうと思います。

Q9 支援の仕方は精神的なものと金銭的なもの、景観に関しては県の制度で100万円程度あると思いますが、それ以外に何かする余地はないのですか。
A9 それはどういう再建の仕方をするかということにかかっていると思います。景観重点地区になっていますから、自分の家、自分の店を再建するということだけであれば、県と市が随伴して、150万円くらい補助できるのではないかと思います。この機会に、温泉街の町の機能をより高めていく、場合によっては他所からの定住を呼び込むと地方創生になってきます。そこはどういう機能を持たせるかだと思います。保険に入っておられる方も多いでしょうし、行政からの支援もありますが、例えば2階建てを3階建てにして、床を売るという方法もあります。民の資金で借金をする必要があるかもしれませんが、借金をして、売れればそれで返す。あるいは店子を入れてその家賃で収入を得ていくという方法もあり、いろいろなやり方があると思います。今のまま戻すということであれば、保険金や見舞金、今言われたようなことしかないわけですが、知恵の出しようはいっぱいあると思います。
 今はおそらくそこまでお気持ちがまわらないと思います。もうあそこには帰らないという方もあるかもしれないし、一刻も早く商売したいという方があれば他の所でされてしまうかもしれません。いろいろな、まさにお一人お一人事情が違うというようなことが出てくると思います。だからこそ、それをまとめていくためにも、仲間同士の支え合いの中でまとめていくという手法が城崎にはふさわしいというように思います。

Q10 昨日も本住寺会館で住民の方との話し合いがあったと思いますが、市長に住民からの要望があがってきていませんか。
A10 被災者から直接というものはありません。城崎支所や市職員、議員、あるいは町の中で気をもんでいる人を通じてというものはあります。それは、再建にあたって力を貸してほしいということであったり、コンサルを入れる費用は出ないのかということや当面のがれきをどうするかということもありました。当面のこと将来のこといろいろです。ですからその辺も、齋藤副市長を城崎町湯島大火災害対策本部の本部長にしましたので、しっかりと働いてくれると思います。

Q11 観光地・城崎温泉の一番書き入れ時での火災でしたし、外国人観光客をはじめ多くの方が城崎に注目されていると思いますが、観光への影響はどのように考えておられますか。
A11 観光への影響はあり得ると思います。燃えてしまった所自体も集客力のあるお店がありましたので、それが閉まってしまったというのは大きな打撃だと思います。
 これから来る方々もあの焼け跡を見ることになりますので、市が道路管理者の立場から、塀を作って目隠しをしていくということを早急にしたいと思います。
 実際に宿泊する機能はいささかも失われていませんので、お客様に泊まりに来ていただく分には、お店は確かに減ったし、一部辛い場面もありますが、観光客の皆さんを受け入れる能力は、基本的には落ちていないと思います。これは風評被害といっていいのか分かりませんが、そのことから倦厭される方が出てくる可能性は十分あると思います。これに対してはホームページはもちろんですが、今いろいろな方々がフェイスブックを通じて、「失われたものもあるけれどもお客様はにぎわっている。ぜひ来てほしい」というメッセージを流されています。例えばJAC(エアコミューター)からも何か自分たちのホームページでお手伝いできないかと言っていただいています。これもキャッチコピーを気を付けなければいけません。亡くなった方が現にあって、被災された方がありますから、「いやー、城崎は大丈夫ですよ、じゃんじゃん来てください」というような書き方をしてしまうと、それはどうかとなりますから、そのことへの配慮もしながら、しかし来ていただきたいというメッセージを出していく必要があると思います。幸いにして応援する方も、今申しあげたようにお話をいただいていますし、私自身のフェイスブックでもずいぶんお見舞いをいただいています。

Q12 火災現場に塀を作って目隠しされるのですか。
A12 今施工業者と打ち合わせ中です。よくある工事現場のただの目隠しではなくて、景観に配慮したようなものにしないといけないだろうと思います。それほど難しい工事ではありませんので、できるだけ早くしたいと思っています。

Q13 塀ができるまで、例えばビニールを掛けるなどはしていないのですか。
A13 今はやっと現場検証が終わったところです。いろいろ出入りされていますので、まだビニールシート等はしていない状態です。ビニールシートをしてもかえって目立ってしまいますし、難しいところです。

Q14 大谿川の北側は市道ですか。反対側は県道ですか。
A14 はい、そうです。

Q15 家の手前ほんの数センチメートルの所に塀を作るのですか。
A15 はい、そうです。しかし、その壁が壊れると困りますので、場合によっては焼けた家の所有者と話をしながら、少し必要なものはどかさせていただいて、そこで塀を支えることになるかもしれません。それは今、現場に即して検討中です。

Q16 塀は市の予算で作るのですか。
A16 はい、そうです。道路管理者が自分の道路を守る、道路を通る人を守るという観点から市の仕事としてやるということです。

Q17 一番焼けている3軒の所だけ塀を作るのですか。
A17 数軒ということはないと思います。通行人を守るということと、景観を守ることの両方がありますので、それに必要な範囲内をします。それを今具体的に検討しています。現時点では明確な範囲等は分かりません。

Q18 塀の整備がいつから始まるかお知らせいただけますか。
A18 はい、お知らせします。

Q19 塀は仮設のものですか。
A19 はい、そうです。

Q20 昨日、城崎町湯島大火災害対策本部という名前で立ち上がったのですが、1回目に何かをするのであれば先にお知らせいただけませんか。
A20 経緯を説明すると、1月5日の朝に城崎町湯島大火対策本部ができて、齋藤副市長、本部長をやってくれということですから、事前も何もありません。報道機関の皆さんには、決めたその日のうちにお知らせしてますから、今回はそんなことでご容赦いただきたいと思います。

〈会見事項以外〉阪神・淡路大震災について

Q1 1月17日で、阪神・淡路大震災から20年を迎えますが、豊岡もこの20年の間に大きな災害がありました。この20年をどのような気持ちでお迎えですか。
A1 今年は北但大震災90周年の年でもあります。阪神・淡路大震災と北但大震災、その二つが豊岡には関わりがあります。この機会に改めて防災対策を、市もですが、個々の人も見直していただきたいと思います。本市の中心市街地も城崎と同じような状況で、木造の家がずっと密集しています。出石の町もそうです。日本中そんな所があると思いますが、そういう中で大掛かりにやることはなかなかできませんし、個々人も大掛かりな耐震や耐火を求めると結局やらないとなってしまいますから、個々人でできるような範囲内のもので効果的なものを、この機会に改めて認識してもらうということが必要だと思います。豊岡市も耐震化まではいかないけれども、少なくとも居宅や居室、台所など、普段居る所だけでも改修をするときの補助制度を設けていますが、なかなかご利用がないというのが実態なのです。みんなどこかで他人事だと思っていることが現にありますから。この90周年、20周年、城崎の火災、この年に他人事ではないということを市としては訴えていきたいし、市民の皆さんにもぜひそういうふうに受け止めていただきたいと思います。意識というのが一番問題なのです。

Q2 訴えることは来年度以降ということでよいですか。
A2 新年度(平成27年度)になります。城崎も今若い人たちが、これからの城崎のまちのあり方ということも含めて北但大震災を振り返るようなことを、内々企画しているようです。5月23日がまさにその記念日ですので、市も地元の方々も一つのエポックとしてやることになると思います。

PDFファイルをご覧いただくには、「Adobe(R) Reader(R)」が必要です。お持ちでない方はアドビシステムズ社のサイト(新しいウィンドウ)からダウンロード(無料)してください。

より良いウェブサイトにするために、ページの感想を聞かせてください。

質問:このページの情報は役にたちましたか?
質問:このページの内容は分かりやすかったですか?
質問:このページは見つけやすかったですか?

このページに関するご質問やご意見は、「このページに記載されている情報の担当課」までお問い合わせください

このページに関する問合せ

市長公室 秘書広報課 広報戦略係
〒668-8666 豊岡市中央町2番4号
電話:0796-21-9035 ファクス:0796-24-1004
問合せは専用フォームを利用してください。