伊藤清永画伯について

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ページ番号1002143  更新日 平成30年12月18日

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伊藤 清永(いとう きよなが)

写真:伊藤画伯

 伊藤清永は1911(明治44)年兵庫県豊岡市出石町下谷(しもたに)に生まれ、白日会・日展を中心に活躍した文化勲章受章の洋画家です。繊細な色線を無数に重ねて描き出される豊麗優美な裸婦像で知られています。
 岡田三郎助の薫陶を受け、東京美術学校(現 東京藝術大学)在学中の1933(昭和8)年第14回帝展に初出品、初入選。1936(昭和11)年の文部省美術展覧会監査展で選奨を受賞し、画家への道を歩みはじめました。
 また、大学時代から出品を続けていた研究団体「白日会」では後年に会長を務め、後進の教育に尽力しました。
 一貫して女性美の表現技法を追求し続け、70年近い画業で築き上げた温かみのある独自の画風は、現在でも見る人を魅了しています。
 2001(平成13)年6月5日軽井沢のアトリエで制作後に急逝し、制作中であった「ばら」数点が絶筆となりました。

作品紹介

バーチャル美術館をご覧ください。

伊藤清永画伯の略歴

1911(明治44)年
兵庫県出石町下谷の禅寺の三男に生まれる(父禅優、母かね)。
1917(大正6)年 
6歳 出石町立弘道尋常高等小学校入学。
1923(大正12)年
12歳 名古屋市在曹洞宗第三中学林(後の愛知中学校)入学。
1925(大正14)年
14歳 油絵を描きはじめる。
1928(昭和3)年
17歳 中学時代の恩師の紹介により、岡田三郎助門下生として本郷研究所に通う。
1929(昭和4)年
東京美術学校西洋画科に入学する。
1931(昭和6)年
20歳 槐樹杜展で「祐天寺風景」入選(公募展初入選)。
1933(昭和8)年
22歳 第10回白日会記念展に「窓辺静物」「庭の一角」初出品、白日会賞受賞。
第14回帝展に「朝の路次」初出品、初入選。
1934(昭和9)年
23歳 第15回帝展に「秋光」出品。
1935(昭和10)年
24歳 東京美術学校油絵科卒業。卒業制作「裸婦」。
1936(昭和11)年
25歳 文部省美術展覧会監査展に「磯人」出品、選奨(特選)受賞。
1945(昭和20)年
34歳 終戦、2度目の兵役から復員。兄巍典に代わり吉祥寺の住職代理をつとめる。
1947(昭和22)年
36歳 兵庫県立出石高等女学校図画教員嘱託となる。第3回日展に「I夫人像」出品、特選受賞。
1948(昭和23)年
37歳 東京杉並に戻る。第4回日展「室内」出品、特選受賞。
1953(昭和28)年
42歳 伊藤絵画研究所を新築、後輩の指導をはじめる(1972年閉鎖)。
1962(昭和37)年
51歳 渡欧。各地を取材し、パリ滞在制作後にオランダ国立美術学校で制作。ピカソの画商であり評論家のカーン・ワイラーの知遇を得、パリ滞在を勧められるが帰国。
1977(昭和52)年

66歳 「曙光」が日本藝術院・恩賜賞受賞、文化庁が買い上げ、日本芸術院所蔵。日展理事に就任。

1986(昭和61)年
75歳 白日会会長となる。
1987(昭和62)年
76歳 兵庫県出石町主催「郷土が生んだ現代洋画壇の重鎮 伊藤清永展」を開催。同町に作品約100点を寄贈。
1989(平成元)年
78歳 出石町立伊藤美術館開館、同町名誉町民となる。
1991(平成3)年
80歳 文化功労者に顕彰される。日展顧問となる。
1996(平成8)年
85歳 文化勲章受章、代表して陛下にお礼言上。
1997(平成9)年
86歳 「鮮麗なる裸婦の輝き 伊藤清永展 文化勲章受章を記念して(読売新聞社主催)」を開催。
郷里の児童を対象に「伊藤清永賞子ども絵画展」創設。
2001(平成13)年
90歳 「卒寿記念 伊藤清永展」を開催。
6月5日、急性心不全のため軽井沢病院で没する。

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このページに関する問合せ

観光文化部 文化・スポーツ振興課 美術館「伊藤清永記念館」
〒668-0214 豊岡市出石町内町98番地
電話:0796-52-5456 ファクス:0796-53-2088
問合せは専用フォームを利用してください。