地場産業の概要

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ページ番号1002263  更新日 平成31年3月13日

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豊岡かばん産業

あらまし

 豊岡は、かつて柳行李の産地として繁栄していましたが、明治期以後、人々の生活様式が変化する中で、行李の販売網と縫製技術を生かしたかばん生産へ転換を図り、国内でのかばん産地としての地位を築きあげてきました。
 高度経済成長期には、国内生産額の多くを占めていましたが、現在では、安価な輸入製品との価格競争、バブル経済崩壊後の景気低迷による消費不況などの影響を受け、業界にとっては厳しい状況が続いていますが、最近では新商品の開発や企業の経営努力により、新たな活路を見出している企業も出てきています。
 また、業界団体等では、地域の特性を生かした「豊岡かばん」の魅力・価値を高め、国内・海外の市場に売り込んでいこうというプロジェクト(国の支援による「JAPANブランド育成支援事業」)の取組みや、地域ブランドの確立のための取組みが進められています。

関係団体

豊岡鞄協会(豊岡市大磯町1-79)
 電話:0796-23-7833

写真:縫製

但馬ちりめん

あらまし

 出石町、但東町は、ちりめんの産地丹後に近く、歴史的に京都西陣を基点として、丹後との一連の関係をもってきました。
 但馬ちりめんは、江戸時代後期に丹後峰山からの移入により発祥したとされています。
 大正15年(1926年)の電力の供給とともに発展し、戦前には織機台数が1,300台を超えました。
 戦時中は大半の織機が戦力増強のために供出されましたが、残った280台の織機を元に昭和27年から始まった県の産業振興計画にのって、事業を開始しました。
 続いて出石郡内町村の特産振興策も実施され、昭和30年(1955年)代後半には、平均100工場が家内工業として稼動していました。
 しかし、日本人の生活様式の変化は、高度経済成長期を迎え、ますます着物離れを促進しました。その結果、但馬地域だけでなく、全国的に和装業界を取り巻く状況は厳しいものとなりました。
 近年では、高級品の生産に力を入れる一方、「絹ゆかた」などの新商品の開発や、洋装、インテリア等新分野への進出についても意欲的に取り組んでいます。

写真:ちりめん

製畳

あらまし

 日高町では昭和の初めから、わら縄製品の生産が盛んになり、戦後も荷づくり縄を中心に、わら縄製品製造業が発展しました。
 昭和30年(1955年)代前半には最盛期を迎えましたが、後半になると、丈夫でわらのようにクズも発生せず、荷づくりしてもかさばらないビニール製縄が開発されたため、わら縄が出回らなくなりました。
 その後、昭和38年(1963年)に、わらの周りのやわらかい部分(ハカマ)を大量に使う畳床製造に進出したのを皮切りに、豊富な稲わらを原材料とした畳床製造への事業転換が相次ぎ、高度経済成長期には国の政策などが追い風となり、畳床製造業が順調に発展しました。
 現在、畳床の需要はマンションや建売住宅向けのウエイトが高く、業界では機械設備を充実させ、大量生産体制を備えるとともに、熟練した職人を養成し、畳(完成品)製造を行っています。
 また、最近では「薄畳」の製造に積極的に取り組んでいます。

関係団体

但馬製畳協同組合(日高町鶴岡519)
 電話:0796-42-1567

写真:製畳

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このページに関する問合せ

環境経済部 環境経済課 商工振興係
〒668-8666 豊岡市中央町2番4号
電話:0796-23-4480 ファクス:0796-22-3872
問合せは専用フォームを利用してください。