伝統的工芸品産業の概要

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ページ番号1002262  更新日 令和2年8月18日

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豊岡杞柳細工(平成4年10月国指定)

あらまし

 豊岡杞柳細工の起源は、垂仁天皇の時代(約2,000年前)に日本に帰化し、但馬の国を開いたといわれる天日槍命(あめのひぼこのみこと)の伝授によるものだという説が語り継がれています。
 円山川の荒地に自生する杞柳「コリヤナギ」でカゴを編むことからはじまり、江戸時代には、代々の藩主が保護奨励したことにより販売網を整え、「豊岡の柳行李」として全国に知られるようになりました。
 明治・大正時代には、「行李鞄」を生み、バスケットカゴを創作し、軍需にも支えられて豊岡の特産業として確立しました。戦後は、生活様式に合わせて買い物カゴや室内装飾品などの商品を作り出し、現在に至っています。
 最近では、後継者の育成のために実施している「杞柳編組み教室」の参加者の中からも伝統工芸士が誕生するなど、技術の伝承に力を入れるとともに、草木染や現代風のモダンなデザインを取り入れた商品の積極的な開発に取り組んでいます。

関係団体

兵庫県杞柳製品協同組合(豊岡市赤石1362)
 電話:0796-23-3821

写真:杞柳関係団体

出石焼(昭和55年3月国指定)

あらまし

 出石焼は、垂仁天皇の時代(約2,000年前)に天日槍命(あめのひぼこのみこと)が陶士を従えて但馬出石に到来し、衣食住に必要な食器類を焼いたことにはじまったと伝えられています。
 出石焼の形成は、江戸時代中期に伊豆屋弥左衛門が出石郡細見村に土焼窯を開設したことがきっかけとなり、二八屋珍左衛門が出石町谷山の柿谷で白色原石を発見したことが現在の出石焼の基礎となったと伝えられています。
 江戸時代後期には、当時の著名な染付師鹿児島屋粛平が出石町西位花山に窯を築き、優れた作品を作りだしました。その作品は現在でも愛陶家がどうしても手に入れたいモノとなっています。
 明治初年に廃藩置県が行われた際、士族に職業訓練を行うため、佐賀県から陶工柴田善平を招き、士族の子弟数十人を集めて伝習させました。次いで県立陶磁器試験場が設立され、石川県から招聘された画工友田安清が白磁彫刻などの美術品の制作を行い、白磁出石焼の名声を高めました。
 また、明治37年(1904年)米国セントルイスで開催された万国博覧会で出石焼は金賞を 受賞し、現在までこの作品が出石焼の代表作とされています。
 現在、伝統を継承するとともに、観光コースに絵付体験を取り入れるなど、観光との連携を進めています。

関係団体

出石焼陶友会(但馬國出石観光協会)
 電話:0796-52-4806

写真:出石焼

城崎麦わら細工(平成5年3月県指定)

あらまし

 城崎の麦わら細工は、江戸中期の享保年間(1716年頃)に竹笛から始まったとされています。その後江戸後期には技術的に現在と遜色のない水準にまで高まっていたことを示す資料として、シーボルトコレクションと明治10年(1877年)から開催された内国勧業博覧会があります。江戸時代の後期から明治初年頃には、温泉土産としても定着していたようです。その後、明治時代にかけて技術が発展し、売上高も向上、黄金時代を迎えました。
 近年では、昭和36年(1961年)に城崎町商工会が設立され、その事業の一つとして、地場産業の育成と、観光と結びついた特産品の振興を掲げ、町や物産組合とも協力して麦わら細工の振興に取り組んできました。
 現在では、後継者育成のための事業を進めるとともに、平成16年11月(2004年)には城崎温泉街に蔵を改装した「城崎麦わら細工伝承館」を整備し、城崎麦わら細工の歴史や過去から現代の作品を紹介しています。また、観光客等が気軽に体験できる「体験コーナー」を開設しています。

関係団体

城崎麦わら細工振興協議会(城崎町湯島376-1〔城崎麦わら細工伝承館〕)
 電話:0796-32-0515(代表)

写真:麦わら細工

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このページに関する問合せ

コウノトリ共生部 環境経済課 商工振興係
〒668-8666 豊岡市中央町2番4号
電話:0796-23-4480 ファクス:0796-24-7801
問合せは専用フォームを利用してください。