築城450年! 国指定史跡 有子山城跡

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ページ番号1029005  更新日 令和6年7月22日

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2024年は有子山城築城450年の記念の年です

 有子山の山頂に、出石の城下町を見守るようにたたずむ有子山城跡。2024年で築城から450年を迎えました。
 東西約740m、南北約780mにおよぶ大城郭で、時代の異なる石垣が大規模に残っている他、曲輪や竪堀・堀切などの遺構が数多く残されている貴重な史跡です。
 また、主郭から眺める出石の風景も美しく、それを目的にトレッキングや登山で訪れる人も多い出石の隠れた名所です。

有子山城跡から見る星空の写真
有子山城跡から見る星空と出石の町明かり

誰が築いたお城?

 有子山(ありこやま)城は、1574(天正2)年に但馬守護職の山名祐豊(やまなすけとよ)によって築かれました。
 山名氏は、出石町宮内の此隅山(このすみやま)城を本拠地としていましたが、1569(永禄12)年に織田信長の家臣・羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に攻められ落城しました。その後、祐豊は一旦、堺へ出奔したのですが、信長の許しを得て帰国し、築城したのが有子山城です。
 落城した此隅山城の名前が「子盗み」を連想させ縁起が悪いことから、もとは別の名前であった山に「有り子」と名付けたと伝えられています。
 落城後は、羽柴秀長(のちの豊臣秀長)、前野長康、小出吉政、小出吉英が城主を務めました。
 吉英の時代になると、各地の戦乱は沈静化に向かい世の中は安定し始めます。そうなると、険しい山城は領国経営上不便なため、山麓にあった居館を改修して出石城を築き本拠としたことから有子山城は廃城となりました。


山名氏とは?

 山名氏は、清和源氏の一家系で、山陰地方を中心に勢力を持った守護大名・戦国大名です。室町幕府においては、赤松氏、一色氏、京極氏と並んで四職家(侍所頭人に就任する相伴衆)として権勢を振るい、最盛期には全国66カ国のうち11カ国の守護を兼ね「六分の一殿」と称されるほど強大な勢力を誇りました。
 山名氏の中でも特に有名な武将が山名持豊(宗全)です。持豊は、将軍足利義教を殺害した赤松満祐の討伐などの功績を上げています。応仁の乱では西軍の総大将となり、此隅山城に2万6千余騎を集結させ、そこから京都に攻め上ったと伝えられています。
 但馬では、南北朝時代から戦国時代までの約200年間、一貫して山名氏が守護の地位にありました。


どんなお城?

 有子山城跡には、山名氏時代の遺構に加え、織豊期を中心とした古い積み方の石垣が大規模に残っています。
 荒々しくも美しい野面積みの石垣、主郭と千畳敷を隔てる大堀切や各所に配置された竪堀・堀切。
 石垣も場所によっては隅の角度が鈍角に広がるシノギ積みとなっているなど、手を加えられた時代ごとの特徴を見つけることができます。
 このように、中世の城郭のあり方を示す遺跡として貴重なものであることから、1996年に此隅山城跡とともに「山名氏城跡」という名称で国指定史跡に指定されており、2017年には「優れた文化財・史跡であること」「著名な歴史の舞台であること」「時代・地域の代表であること」が認められ、山麓の出石城跡とともに続日本100名城にも選ばれました。


有子山城跡の縄張図
有子山城跡縄張り図

石垣は誰の作?

 威容を誇る有子山城跡の石垣ですが、山名氏時代には石垣は存在しませんでした。
 では、いったい誰の手によるものなのでしょうか?
 一説には、有子山城の石垣は、築城の名手・藤堂高虎の手によるものだと言われています。
 高虎の一代記である「高山公実録」には「28歳の時に、羽柴秀長から出石(有子山)の築城を命ぜられた」という記述が残っています。
 馬場信春、明智光秀、黒田官兵衛、加藤清正と並び、戦国屈指の築城の名手であった高虎。彼が最初に手掛けた石垣の城が有子山城であった可能性があり、さらなる研究が期待されます。


有子山城跡 四季折々の魅力

 有子山山頂に築かれた有子山城は、主郭を中心に三方向に延びる尾根に放射状に曲輪および竪堀、堀切を配した堅固な山城で、現在でもその威容を楽しむことができるほか、主郭からの眺望もよく、トレッキングや登山を楽しむことができます。


春 山淡冶として笑うが如く

 春の有子山城跡は、桜と石垣などの遺構の取り合わせが美しく、また、芽吹きの季節で生命力にあふれた山々の風景を楽しむことができます。

春の有子山城跡の写真


夏 山蒼翠にして滴るが如し

 夏の有子山城跡から見る出石の風景は、木々が青々と生い茂った瑞々しい山々を見ることができます。また、この時季は美しい夕焼けが見られる確率も高く、円山川や水の張られた水田が朱に染まる様子は必見です。

夏の有子山城跡の写真


秋 山明浄にして粧うが如く

 秋の有子山城跡からは、紅葉や黄葉により美しく装った出石の風景を楽しむことができます。また、前日との気温差が大きい朝には雲海を楽しむこともできます。

秋の有子山城跡の写真


冬 山惨淡として眠るが如し

 冬の有子山城跡からは、雪に包まれ、眠るように静まっている出石の城下町を見ることができます。

冬の有子山城跡の写真

登城に関する注意事項

  • 有子山城跡に行くには、有子山稲荷神社の参道から登る道と鰺山峠の遊歩道から登る道があります。前者は険しい箇所、滑りやすい箇所があるため注意が必要で健脚向けのコースです(所要時間:約40分)。後者は緩やかな遊歩道ですが距離があります(所要時間:約1時間30分)。
  • 夕方から早朝にかけては野生動物(熊、鹿など)と遭遇する可能性が高いため注意が必要です。
  • 積雪期の登城は危険を伴います。スノーシューやアイゼンなど、しっかりと装備を整えた上で登城してください。
  • 有子山城跡は標高321mの山頂に築かれています。ご自身の体力、当日の体調や天候を把握し、無理のない範囲で登城してください。

有子山城跡フォトギャラリー

  • 有子山城跡と上空を彩る天の川の写真

    有子山城跡と上空を彩る天の川

  • 井戸曲輪の写真

    全国的にも珍しい7段の石垣からなる井戸曲輪。

  • 主郭の石垣と朝日の写真

    主郭の石垣と朝日

  • 矢穴の残る石取場の残念石の写真

    矢穴の残る石取場の残念石

  • 大堀切の写真

    幅28m、深さ12mの但馬国最大の大堀切

  • 千畳敷から見る主郭と出石の遠景の写真

    千畳敷から見る主郭と出石の遠景

  • 夜の出石城下町の写真

    夜の出石城下町

  • 特徴的な石の写真

    千畳敷にはまるで刀で切ったような石が残る

  • 出石の町並みと柳まつりの花火の写真

    出石の町並みと柳まつりの花火

  • 主郭から見る出石の夕景の写真

    主郭から見る出石の夕景

  • 彼岸花と出石城下町の写真

    彼岸花と出石城下町

  • 光芒射す城山遊歩道の写真

    光芒射す城山遊歩道

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