市長臨時記者会見(2021年4月27日)

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ページ番号1017087  更新日 令和3年6月8日

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日時

 2021年4月27日 午後1時~午後2時

場所

 豊岡市役所 3階 庁議室

会見事項

 市長退任について

質疑応答

選挙について

Q1改めて選挙の感想は。

A1 結果は僅差ではありましたが民意が出たので素直に受け取りたいと思います。そのことについて腹が立つとか、くやしいという思いはありません。反省すべき点は多々あります。SNS上、皆さんの記事、ニュースの報道などで市民の声に耳を傾けました。私に見えていたもの、見えていないものがいろいろとあったということがはっきりしました。とはいいながら、2万人近い方に支持をいただきました。豊岡の危機に対して夢を描くことによって対処するということが私の基本的な考え方でしたが、そのことに非常に期待していただいた方があったことは間違いありません。敗戦が決まってから、市民の皆さんや全国の皆さんからとんでもない量の慰め、励ましをいっぱいいただきました。私のやってきたことに対して評価や期待がすごく大きかったことを改めて実感しています。
 他方で、私より別の方を選んだ人が多くあったわけですが、それにはいろいろな背景があったと思いますが、基本的には私のコミュニケーション不足です。私がどうであれ、市役所全体として福祉、教育、子育て、さぼっていたはずがなく、やってきたはずですが、リーダーとしてのコミュニケーションにどうしても手薄なところがあり、大きな問題があったと思っています。
 あるいは、夢で危機を解決することが今の現実の問題に対する答えだと思っていましたが、そこが十分に伝わらなかったのも反省点です。その証拠に私自身の実感として市長選挙尻上がりに支持が広がったということを実感しています。それは結果的に私の論理が分かった方。選挙前に24回対話集会、2回公開討論会をやり、個人演説会はすべて対話をしました。なぜ、小さな世界都市なのか、なぜ、演劇のまちなのか、ジェンダーギャップの解消なのか、そのことがストンと腑に落ちた方が選挙戦を盛り上げてくれました。ですから、それでも選挙に負けたということはコミュニケーションが十分でなかったということです。

 

Q2相手はだれでもよかった。中貝さんになってほしくなかったという市民の声があったが、そのことについてどう思うか。

A2だれと戦っているか選挙前も選挙中も正直わかりませんでした。結局、医療費を無料化にしてほしいという要望に対して、社会保障を守る上でみんなが少しずつ出し合うことを理解してほしい、そのことに終始した気がします。あるいは、演劇のまちづくりというものが演劇を楽しんでもらうということに主眼があるのではなく、豊岡の新しい魅力をつくるのだということをひたすら広げる努力をしてきました。だから、対抗者と戦っている印象はまったくありませんでした。私自身、これまでの活動と戦っていたような気がします。医療費の説明を普段から丁寧にやってこなかったということとの戦い、演劇のまちづくりが実は豊岡の突き抜けた新しい魅力や可能性をつくるということを十分市民と対話をしてこなかった、そのこととの戦いだった様な気がします。

 

Q3演劇のまちづくりは、平田さんが移住されて、河畔劇場や大学もできて順調に進んでいた。今回、それが評価されずこのような結果になったがそのことについてはどうか。

A3今考えると非常に象徴的だったと思います。先ほどのコミュニケーション不足の話に関わるんですが。演劇祭はただのイベントはなく、豊岡の未来にとても意味があることでした。コロナによってどんなに制約があっても、小さくなっても必ずやるという信念でやりました。それを聞いた豊高生が泣いたんですよね。豊高祭ができなかったと。ここにシンボリックに表れていると思います。それを本人から聞いたわけではないですが、それを教えてくれた人のニュアンスでは「演劇祭はやったのに、なぜ私たちはできないのか」ということです。あるいは楽器をやっている市民の皆さんから「演劇祭はやっているのに、なぜ自分たちの公演は中止なのか」という話もありました。これは公平に見ると逆だと思います。それぞれが自分の判断でやるべきことをやる。演劇祭については、市がやることが重要だと判断して、徹底的に感染予防対策を行った上で実施しました。やらなかった人が誰かを恨む。本来筋違いだと思います。自分たちでどのように判断するかということだと思います。
 ただ、そう言いたくなる気持ちはわかります。そのとき市は私たちに手を差し伸べてくれなかったけれども、あれだけみんなが心配している中でも演劇祭だけはやって、演劇人を守った。たぶん、そういうとり方をした人がおられたと思います。そういう人たちに対する思いや配慮が至らなかった。本来、そういう人たちに「つらかったよね」とポンと肩を叩くことができていれば同じ方向を向けたのではないかと思います。それもリーダーとしてのコミュニケーション不足だったと思います。

 

Q4演劇のまちが争点になり、市民が分断されて、煽られたという感じがあったと思うが。

A4分断でありません。単なる感覚の違いです。人間は変わります。だから大丈夫です。コウノトリもそうでした。コウノトリも最初はあんなものはいらないというのが圧倒的に多数でした。環境が大切たという人は少数派で、それが少しずつ増えてもなお、賛成、反対がありました。
 人は変わる。人が変わるためには時間がいるんです。変わるきっかけがいります。あるいは、この方向がいいのだという納得できる証拠がいります。それを積み重ねることしかない。演劇のまちに期待している人たちは、本当に期待していいと思います。反対している人は本当の反対ではありません。その意味を知らないだけです。「演劇なんて見たくもないよ」「そんなお金があるなら福祉に使ってくれ」と思われることはむしろ当然です。それは知らないからです。知らなかったのはコミュニケーション不足があったからです。もちろん全員が賛成するようなことは世の中ではありえません。でも政治というのはそこを信じて進むことです。そのためにどうするかということにエネルギーを費やしていく。これは必ず多数派になります。それはそういう証拠がこれから出てくるからです。

今後の市政について

Q5今後、演劇というものが豊岡では市民権を得られないのではないか心配するが。

A5やりようだと思います。まず新市長が演劇についてどういう気持ちをお持ちなのか、真意はよくわかりません。ですけれども、演劇と観光を学ぶ大学がすでに県立で60億円もかけてできていて、若い人たちが集まっている。それを否定するという選択肢は本来ありえません。どこまで関与するか程度の問題だと思います。演劇祭も市の関与でいうと市の負担はゼロです。財源は国からの補助金とふるさと納税で賄っています。ふるさと納税は演劇のまちづくりために使ってくれと寄付をいただいたもので、これをほかのものに使うと寄付者の意思に反することになります。
 それから根本的に演劇のまちづくりは、行政だけでやるものではありません。なので、私が市長をしている場合と比べると、新市長のもとでの市役所の関与はおそらく薄くなると思いますが、民意が頑張ればすむことです。それは、むしろ私の撤退によって、より大きな危機感を持っている人がたくさんいて、失おうとしているものの大切さに気付いた人がものすごく多くいる。ですから、たぶん火がついていると思います。すでに豊岡のまちに失望したとして、豊岡のまちに下見に来るのをキャンセルしている人がいるという情報も入っています。ツイッター上も同様の言葉が飛び交い始めています。中では、医療費がどうだという問題はもちろんあるんですが、外の人たちがどれほど豊岡のまちづくりをおもしろがっていたか評価をしていただいた。それが外から見ると失望にもとれる。だけど、ほっとくわけにはいきませんので、だから民意の出番だと思っています。そのように感じている人たち、とりわけ若い人たちが本当にたくさんいます。
 市役所の関与は後退すると思いますが、豊岡のまちとしての演劇のまちづくりへのエネルギーはむしろ大きくなると思っています。一私人に戻った自分としてもそうしなければならないと思っています。この道は必ず豊岡を救うということがそもそも私の考えですので、あえて、こういう結果になったことをプラスに捉えるとすると、行政あるいは市長の主導のまちづくりから民意主導のまちづくりへと豊岡は転換すべきだという声をもらったのだと思っています。だからそうします。

 

Q6ジェンダーギャップの事業も力を入れられていたが、これまでどおり進まないのでは。

A6ジェンダーギャップ解消はすでに民意は動き始めています。市役所を含めた54の事業所がジェンダーギャップ解消に動いています。猛烈な勢いで数が増えています。男女共同参画という理念で動いているわけではないんです。もちろんジェンダーギャップの基本は徹底的に人権問題です。あるいは公正さの問題です。ですけれども同時に人口減少であったり、経済的損失だと損得の話です。企業は損得の話はすごくわかります。そこから入ってもよいと思います。企業は今のままではだめだということで動いています。男女平等だという美しい理念に突然、経営者が目覚めて、平等な会社を作ろうと50の事業所がやっているわけではありません。あきらかに経営上の問題です。わかった人たちがやろうとしています。この流れは変えられません。
 今後、リクルート上の良しあし、会社のパフォーマンスでいろいろな証拠がはっきり出てくると思います。仮に市役所の動きが鈍った場合、豊岡の中の民意の動きは止まらないと思っています。止まることがないように私は頑張ります。

 

Q7市長が変わることによって国からの財源が減るのではないか

A7わからないです。総務省の特別地方交付税については、昨年度全国7位なんです。近畿ダントツ1位です。全体の国のパイが4%減る中で、豊岡は4%増えました。それはまちづくりが圧倒的に評価されていたからです。おもしろいんですよ、豊岡のまちづくりが。特別交付税の要望に行くときに、総務省の幹部の方が言われたんですが、みんな「つらい」「助けて」しか言わない。だけど豊岡は、演劇のまちだとかコウノトリだとか、とにかくこんなふうにがんばっている、おもしろいっていう話ばっかりしかしないので、すごく元気が出ると言われました。そういうスタイルが必要だと思います。普通の町だというところを応援しようとする人はいないと思います。国に対して、こんなにがんばっているといわないとだれも応援してくれないと思います。

20年間の市政を振り返って

Q8市長を20年間務めて、今までで思い出深かったことは。

A82005年放鳥しましたよね。あの最初の一羽が飛んだ時、「やった」と大声を出したんです。子どもみたいに両手を挙げて、ガッツポーズをしました。あの瞬間は本当にうれしかったです。91年に県会議員になって、コウノトリの物語と出会いました。1955年に保護活動が始まっていますから長い物語です。しかも絶望の時期が圧倒的に長かった。松島さんは25年間1羽のひなが孵らず耐えてきた。みんなの思いがあの瞬間に晴れたという感じでした。

 

Q9コウノトリが野外で200羽を超えたことについては。

A9それは一里塚でしかありません。100羽、200羽になったことについては大きな意味がありません。それよりむしろ豊岡以外のところで、野外でヒナが続々と孵り始めた。これがとても意味があることと思います。しかも昨年は関東で、栃木県でヒナが孵りました。広がりをとても実感させるという意味でとてもよかったと思います。韓国に飛んで行ったコウノトリもいました。世界とつながっているという印象を強く与えたという意味でも非常に良かったです。
 その次に思い出深いのは大水害です。それは今思い返してもあれはきついですね。10月20日に堤防が決壊して市役所の災害対策本部が機能不全に陥るんです。隣にいた防災課長は「この世の終わりだ」と言いました。次の日の午後に国土交通省がヘリコプターを用意してくれて、空から豊岡を見たんです。「やられた」という感じでした。まちが水に浸かっていて、家が浮かんでいました。「こん畜生」と思いました。「僕の大切なまちにこんなことをしやがって」。そこから復興をスタートさせました。みんなとても良く頑張りました。こんなに元に戻るとは誰も思いませんでした。
 このことがずっと被災地に対する思いにつながっています。自分の町の防災対策を必死になってやってきましたが、同時に被災地にも徹底して応援してきました。重機部隊、ごみ処理部隊など、とにかく一方的に、真っ先に駆け付けました。他人ごとではありませんでした。

 

Q10 20年前と比べて豊岡がどう変わったか。

A10なんの変哲もないまちが世界で輝くまちになった。せいぜい但馬中心地のまちでした。あいかわらず格差是正が問題で、都会に対して地方は劣っているので「金をよこせ、道路をよこせ」。格差是正が合い言葉でした。今は格差是正に力を感じる人はいないのではないでしょうか。いかに豊岡は豊岡であるかということだと思います。全員ではないですけど、少なくとも若い人たちや子どもたちは、自分たちやまちの未来に対して希望を持つようになったということは間違いないと思います。

 

Q11守ってきたもの、守り続けないといけないものは。

A11歴史と伝統です。そのエッセンスです。歴史は変えられませんが、伝統は変えることができます。受け継いできたものを守らないようなまちは世界から尊敬されるはずはありません。時間の経過に耐えてきたものをきちんと守っていく。辰鼓楼、永楽館なんかはそうです。時間の経過に耐えたものはまちに風格を与えます。それをさっさと壊すまちであってはいけません。稽古堂もうそうです。受け継いだものは脈々と受け継いでいく。この地の自然と人間が対話しながら作り上げてきたものはたくさんあるんです。古びたた石垣なんかもそうです。そういったものはちゃんと受け継いでいく。その上に新しいものを付け加える。その姿勢は守るべきだと思います。大きなコンクリートの建物が8階建てから10階建てになったと喜ぶまちになってはいけない。重要伝統的建造物群保存地区で昔に戻す動きですね。明治初めの外観に戻していく。出石では13年間で59件やってきましたが、黙々と受け継いだものを取り戻していくという作業を大切にすべきです。

今後の活動について

Q12今後の活動について自身の考えがあるのか。

A12やることは決めています。ただ、まだ言えません。

 

Q13豊岡を拠点にするのか

A13もちろんそうです。豊岡から日本や世界のお手本になるようなことをする。それは市長としてではなく。これまで市長として号令をかけてやってきましたが、これからは一私人でありますので、これまでこのまちの可能性を信じてやってきてくれた人たち、このまちの中にいて新しい可能性を感じてくれた人たち、その人たちと一緒になって、その人たちを鼓舞して、激励して大きなうねりを作りたいと思っています。

 

Q14それは仲間を呼びかけるのか、すでにいるのか。

A14昔からの仲間ではなく、この選挙戦でつながった人たち、特に若い人たちです。そこにすごく可能性を感じます。撒いてきた種が明らかに芽を出し始めていることを実感しています。ですので、私自身はこれから先のことや選挙のことを否定的には捉えていません。若い人とやりとりしていて、今日の昼前にそういう思いになりました。

 

Q15若い人はたちには学生が入っているのか。

A15もちろん入っています。学生は励まさないといけません。相当ショックを受けている人もいると聞いています。選挙戦で演劇のまちが否定されたような感じがあり、学生たちはかなり堪えているのではと思います。なので、励ます必要がありますし、一緒になって可能性を切り開くということをしっかり形に表さないといけないと思っています。私だけではありません。現にそういうことをやりたいという人たちがでてきていますので、ここから反転攻勢のようなことができると思っています。
 学生たちのエネルギーは、選挙前に話をしましたが半端ではありません。東京を飛び越えて、名古屋を飛び越えて、大阪、京都、神戸を飛び越えて豊岡にわざわざ来るような人たちです。しかも大都市から。圧倒的な目的意識です。この若者たちがこのままへこたれるはずはない。それに対してこのまちの人たちが「一緒にやるよ」という姿勢なり、うねりを作ることができれば、かえって落選がよかったのではないかということにならないかと思っています。

 

Q16具体的に言えないということだが、大きな意味では言えばまちづくりか。

A16そういうことです。日本中に呼びかけます。これは豊岡だけの挑戦ではありません。一時的には豊岡をどうするということになりますが、そのことが日本の中でどういう意味を持つのか。ネットワークはいっぱいありますのでなにかおもしろいことができると思います。

 

Q17いつ頃から動き出したいと思っているのか。

A17わかりません。何か明確な組織を作るかということではありません。私がやろうとしていたまちづくりという意味が、私がいなくなってしまったことによって大きな喪失感を持っている人や苛立っている人たちがいます。その中から、むしろ行政が弱まるのであれば、民で生かすべきではないかという声が出始めています。特定の人が集まっているというよりも、おそらく横にダァッと広がってくるようなことになると思います。
 まずはあれこれ雑談することだと思います。いろいろな思いがありますから、ワアワア言っている間に触発されて、「なるほどそうか」と次に話が行く。その中から最終的にどういう形に作り上げるかということだと思います。今は溜まったモヤモヤを吐き出して、どうすれば失ったものを大きなものに変えられるか、み んなが希望を持てる、夢を持つ、そのプロセスが入ります。ここは焦る必要はありません。エネルギーを持った人が自分たちで言語化をして、具体的に何をするのか、何のためにするのかを明確にしていく。そのプロセスをしっかりと、見守ったり、時には押したり、引いたりするのが私の仕事かなと思っています。若い人たち、これからのまちを担う人が主役。一人ひとりの顔がしっかり見える人々の集まりです。

 

Q18自分たちのしたいことをすると言われたが、それは豊岡のためになることか。

A18基本的に豊岡をどうするかが重要だと考えています。同じように日本中の自治体がコウノトリや平田オリザさんのような、何か別のものを推進力しながらまちづくりを進めていけば日本全体が変わりうる。多様性戦略です。多様性戦略を国のような立場から制度的に法律だとか制度だとか日本一律の誘因策をもって変えていく方法もあれば、「豊岡は豊岡の道を行きます」「養父は養父の道を行きます」そういったところが出てくれば、日本の多様性はすごく増して、おもしろい国になって、日本が元気になると思います。そのためには、豊岡が突き抜けるまでおもしろくならないといけないと思ってきましたし、これからもそうしたいと思っています。

 

Q19つき抜ける取り組みは続けていくのか。

A19続けないといけません。人口減少問題を軽く考えていけないと思います。子育て支援では人口問題の答えにはなりません。子育て支援で人口減少問題を対処できるのは、明石市のように隣に大都市がある場合に限られています。隣に大都市があれば、すぐ隣の町に移り住んで、仕事は大都市ということができます。北海道の東川町も人口増なんですけど、隣が旭川です。徹底した子育て支援です。仕事は旭川です。豊岡が子育て支援を徹底して、隣の町からとってしまう。そういう戦略をやるべきではないと思います。豊岡の子育て支援にひかれて、神戸や東京から移り住んでくるかというと、それだけでは難しいと思います。子育て支援を否定しているわけではなく、子育て支援はよほど条件が整わない限り人口減少対策の柱にならないということを申し上げたい。
 子育て支援は命への共感なんです。子育て支援はちゃんとしないといけません。あんな大変なことを一生懸命やっている人がいて、苦しんでいる人がいるわけですから。隣人の気持ちの情からちゃんと応援する。それから未来を背負う子どもたちですから、未来への投資としてちゃんと支援する。それからジェンダーギャップの点ではとりわけ女性の負担を軽くする。女性も社会参加がしやすくなって、それがまち全体にとって意味があるということを政策目的にして、子育て支援をやっていかないといけないと思います。

 

Q20いずれ政治家に戻るつもりは。

A20肩書きの付く政治家に戻るつもりはありません。

 

Q21要請されてもないか。

A21要請されてもやるつもりはないです。若い人がやるべきです。あるいは女性がやるべきです。私自身は、豊岡に対する気持ちは変わらないので、豊岡に対して自分がどう貢献できるかということの中でやることを決めたいと思っています。

選挙を終えて今やりたいこと

Q22選挙が終わって今何がやりたいか。

A22シルク温泉に行ってお風呂に入りたいです。あと、畑仕事をしてトウモロコシやトマト、菜っ葉を植えようかと思っています。やっぱり少し体を休めないといけないですね。体と神経を酷使してきたのでしばらくは体を休める。多くの人たちの喪失感、失望感を何とかしたいとかという思いがあるので、畑仕事の合間に考えていきたいです。

市民へのメッセージ

Q23市民へのメッセージをお願いします。

A23緊急事態宣言の真っ最中です。私はこれまでこのまちを守りたいという思いで、陣頭指揮を執って、コミュニケーション不足と言いましたが、コロナ対策では、くどいほど防災行政無線で語りかけてきました。何とかここまでこれたかなと思っています。市長が変わりますが、新市長のもとで、職員、市民の皆さんが一丸なってこの危機を乗り切っていただきたいと思っています。私も市民の一人ですから私ができることは全力挙げて取り組んでいきます。危機を乗り切ればその先には希望と未来があるということを信じてがんばりましょう。

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