北但大震災の概要

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ページ番号1000671  更新日 令和6年9月25日

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大正14年(1925年)5月23日午前11時10分頃、マグニチュード6.8の地震が発生しました。
この地震で、円山川流域、特に豊岡と城崎の町が甚大な被害を受け、420人の尊い命が奪われました。

 

地震の状況

 出典:「気象庁地震カタログ」、「豊岡市史(1987年発行)」および「城崎町史(1988年発行)」

発生年月日

大正14(1925)年5月23日

 午前11時9分47秒[気象庁地震カタログ]

 午前11時9分57秒[豊岡市史]

 午前11時10分2秒[城崎町史]

地震規模
マグニチュード6.8
震度
震度6(当時の最大階級)
震源地

北緯35度33.80分 東経134度50.09分[気象庁地震カタログ]

円山川河口数マイル[豊岡市史]

円山川河口沖合[城崎町史]

被害の状況

 出典:「豊岡市史」、「城崎町史」および旧1市5町の地域防災計画

全焼
1,712戸(豊岡1,137戸、城崎575戸)
全壊
826戸(豊岡724戸、城崎61戸、竹野31戸、日高5戸、出石5戸)
死者
420人(豊岡136人、城崎283人、出石1人)
負傷者
792人(豊岡581人、城崎211人)

被害の特徴

  1. 城崎町では、建物の倒壊で道路がふさがり、消防活動ができず建物の下敷きになったまま焼死する者、逃げた山林で延焼した火にのまれて焼死する者が多く、さながら生き地獄を呈し湯島区はほとんど全焼した。(旧城崎町地域防災計画から)
     
  2. 豊岡市では、昼食時の火が原因で町北部の小田井地区を残して町中心部に延焼、現生田通り以北を焼き尽くした。港地区は震源に近く、津居山は250戸のうち、145戸が焼失し、残る105戸は全半壊であった。(旧豊岡市地域防災計画から)
写真:t1
豊岡市街地の大火災

K1
1階部分が潰れた3階建ての旅館
K2
城崎温泉街の焼け跡

地震の記録

 北但大震災発生90年(2015年)を記念して作成した「北但大震災の概要」をまとめたパネルのデータです。
 過去に作成した市と市民の共有財産であるので、発生時刻、震源地については作成時のままで、修正等は行いません。(記述内容には、それぞれ出典を記載しています。)

出典データ

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このページに関する問合せ

危機管理部 危機管理課 危機管理係
〒668-8666 豊岡市中央町2番4号
電話:0796-23-1111 ファクス:0796-24-5932
問合せは専用フォームを利用してください。