北但大震災の概要

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ページ番号1000671  更新日 令和4年2月17日

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 大正14年(1925年)5月23日午前11時9分頃、マグニチュード6.8の地震が円山川河口付近で発生しました。

 この地震で、円山川流域、特に豊岡と城崎の町が甚大な被害を受け、420人の尊い命が奪われました。

1 北但大震災の概要

出典:「豊岡市史」「城崎町史」および旧1市5町の地域防災計画

発生年月日
大正14(1925年)5月23日 午前11時9分57秒
地震規模
マグニチュード6.8
震度
震度6(当時の最大階級)
震源地
円山川河口部付近
全焼
1,712戸(内豊岡1,137戸、城崎575戸)
全壊
826戸(内豊岡724戸、城崎61戸、竹野31戸、日高5戸、出石5戸)
死者
420人(内豊岡136人、城崎283人、出石1人)
負傷者
792人(内豊岡581人、城崎211人)

2 被害の特徴

  1.  城崎町では建物の倒壊で道路がふさがり、消防活動ができず建物の下敷きになったまま焼死する者、逃げた山林で延焼した火にのまれて焼死する者が多く、さながら生き地獄を呈し、湯島区はほとんど全焼した。
    (旧城崎町地域防災計画から)
  2.  昼食時の火が原因で町北部の小田井地区を残して町中心部に延焼、現生田通り以北を焼き尽くした。
    港地区は震源に近く、津居山は250戸のうち、145戸が焼失し、残る105戸は全半壊であった。
    (旧豊岡市地域防災計画から)
写真:t1
豊岡市街地の大火災

写真:k1
1階部分が潰れた3階建ての旅館
写真:k2
城崎温泉街の焼け跡

 北但大震災の記録については、下部からファイルをダウンロードしてご覧ください。

 豊岡編と城崎編があります。

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このページに関する問合せ

危機管理部 危機管理課 危機管理係
〒668-8666 豊岡市中央町2番4号
電話:0796-23-1111 ファクス:0796-24-5932
問合せは専用フォームを利用してください。