コウノトリの歴史 明治時代から昭和30年まで
近代化が進み、数を減らした時代
明治時代に入ると銃による乱獲によって、コウノトリは全国から姿を消していきました。但馬では、旧室埴村(むろはにむら)や兵庫県などの保護行政により、コウノトリは全盛期を迎えたものの、その後の環境破壊により生息数を減らしていきます。
明治25年(1892年)
狩猟規則公布
ツルやツバメは、保護鳥とされたが、コウノトリは効率的な農業の支障となる有害鳥とされ、保護鳥の対象にならず。
出石町桜尾の鶴山に限って保護対象となる。
明治37年(1904年)
瑞鳥ブーム
出石町桜尾の鶴山に営巣していたコウノトリが4羽のヒナを産むと、日露戦争の勝利とあいまって、繁殖は吉兆であると「瑞鳥ブーム」が巻き起こった。
鶴山には「ツル」見物のための茶店が出され、京阪神からも見物人が訪れ、たくさんの人で茶店や無料観覧所がにぎわっていた。
明治41年(1908年)
狩猟法改正
鳥獣保護の根拠に初めて「希少」性が加えられ、コウノトリ、トキ、ヘラサギが保護鳥に追加指定された。
大正10年(1921年)
史跡名勝天然記念物の指定
コウノトリの繁殖地として出石の「鶴山」が天然記念物に指定された。
昭和9年(1934年)
但馬コウノトリの最盛期
コウノトリの生息地は豊岡盆地を中心に朝来市和田山町から京都府京丹後市久美浜町の間に及び、約60羽が生息していたといわれている。
昭和18年(1943年)
環境破壊 木材の大量伐採
戦争のため「鶴山」の国有松山を伐採した。(昭和29年まで)松の木に巣をかけるコウノトリは営巣環境を失い、すみやを離れて四散した。
昭和25年(1950年)
文化財保護法の公布
天然記念物であったコウノトリは文化財保護法により保護。
環境破壊 農薬の使用
この頃から強力な農薬が使われ始め、自然のエサが減少する一方であった。
昭和28年(1953年)
「種」としての保護指定
天然記念物指定をコウノトリの「生息地」から「種」に変更。
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コウノトリ共生部 コウノトリ共生課 コウノトリ共生係
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