伊藤清永画伯について

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ページ番号1002143  更新日 平成30年5月23日

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伊藤 清永(いとう きよなが)

写真:伊藤画伯

伊藤清永は1911年(明治44)兵庫県豊岡市出石町下谷(しもたに)に生まれ、白日会・日展を中心に活躍した文化勲章受章の洋画家です。

繊細な色線を無数に重ねて描き出される豊麗優美な裸婦像で知られています。
岡田三郎助の薫陶を受け、東京美術学校在学中の1933年第14回帝展に初出品、初入選。
1936年文展(文部省美術展)で選奨を受賞、白日会会員となり画家としての道を確立しました。
70年近い画業の中で、一貫して女性美の表現技法を追求し、温かみのある独自の画風を築いて見る人を魅了しています。

2001年6月5日軽井沢のアトリエで制作後急逝し、製作中の「ばら」数点が絶筆作品となりました。

作品紹介

バーチャル美術館をご覧ください。

2.伊藤清永画伯の略歴

  • 1911年(明治44年):兵庫県出石町下谷の禅寺の三男に生まれる(父禅優、母かね)。
  • 1917年(大正6年) :6歳 出石町立弘道尋常高等小学校入学。
  • 1923年(大正12年):12歳 名古屋市在曹洞宗第三中学林(後の愛知中学校)入学。
  • 1925年(大正14年):14歳 油絵を描きはじめる。
  • 1928年(昭和3年):17歳 中学時代の恩師の紹介により岡田三郎助門下生となり本郷研究所に通う。
  • 1931年(昭和6年):20歳 槐樹杜展で「祐天寺風景」入選(公募展初入選)。
  • 1933年(昭和8年):22歳 第14回帝展に「朝の路次」初出品、初入選。
  • 1934年(昭和9年):23歳 第15回帝展に「秋光」出品。
  • 1935年(昭和10年):24歳 東京美術学校油絵科卒業。卒業制作「裸婦」。
  • 1936年(昭和11年):25歳 文部省美術展覧会監査展に「磯人」出品、選奨(特選)受賞。
  • 1945年(昭和20年):34歳 終戦、復員。兄巍典に代わり吉祥寺の住職代理をつとめる。
  • 1947年(昭和22年):36歳 兵庫県立出石高等女学校図画教員嘱託となる。
    第3回日展に「I夫人像」出品、特選受賞。
  • 1948年(昭和23):37歳 東京杉並に戻る。第4回日展「室内」出品、特選受賞。
  • 1953年(昭和28):42歳 伊藤絵画研究所を新築、後輩の指導をはじめる(1972年閉鎖)。
  • 1962年(昭和37):51歳 渡欧、パリ滞在制作後オランダ国立美術学校で制作。
    ピカソの画商であり評論家のカーンワイラーの知遇を得、パリ滞在を勧められるが帰国。
  • 1977年(昭和52年):66歳 「曙光」日本藝術院・恩賜賞受賞、文化庁買い上げ、日本芸術院所蔵。日展理事に就任。
  • 1986年(昭和61年):75歳 白日会会長となる。フジテレビで「巨匠の素顔」放映。
  • 1987年(昭和62年):76歳 兵庫県出石町主催「郷土が生んだ現代洋画壇の重鎮 伊藤清永展」を開催。
  • 1989年(平成元年):78歳 出石町立伊藤美術館開館、同町名誉町民となる。
    生家吉祥寺の山門落成、本堂天井画「飛天」「風神雷神」完成。兵庫県文化賞受賞。
  • 1991年(平成3年):80歳 文化功労者に顕彰される。日展顧問となる。
  • 1996年(平成8年):85歳 文化勲章受章、代表して陛下にお礼言上。
  • 1997年(平成9年):86歳 「鮮麗なる裸婦の輝き 伊藤清永展 文化勲章受章を記念して(読売新聞社主催)」を開催。
    郷里の児童を対象に「伊藤清永賞子ども絵画展」創設。
  • 2001年(平成13年):90歳 「卒寿記念 伊藤清永展」を開催。
    6月5日、急性心不全のため軽井沢病院で没する。

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このページに関する問合せ

地域コミュニティ振興部 文化振興課 豊岡市立美術館「伊藤清永記念館」
〒668-0214 豊岡市出石町内町98番地
電話:0796-52-5456 ファクス:0796-53-2088
問合せは専用フォームを利用してください。